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大蔵村棚田米生産販売組合
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棚田米生産販売組合を創った男
大蔵村棚田米生産販売組合 組合長 須藤敏彦さんに独占インタビュー。生まれ育った村で何を思い、組合を立ち上げたのか。消費者や村への思いと組合のこれからを語ってもらった。
topic
*このインタビューは2020年6月下旬ごろに行ったインタビューです
―大蔵村棚田米生産販売組合 組合長 須藤敏彦さんにインタビューです。よろしくお願いします。
須藤 はい。よろしくお願いします。
―都心では梅雨入りして雨も多い季節になりました。雨が多いと農作物への影響も心配になりますが、ここまでお米の方は順調ですか?
須藤 順調ですね。四ヶ村ではむしろ少し雨が少ないです。少なすぎてもよくないのでもう少し降って欲しいくらいですね。笑
7月中旬の棚田 稲が青々と伸びてすっかり田んぼは夏の様子
―なるほど。笑 天気がいいのは羨ましいですけど、米作りとなると気を付けないといけないことも多いんですね。
須藤 そうですね。今の時期は特に、水管理には気を使いますね。気温を見ながら田んぼの水位を調整しています。
―具体的にはどうされているのですか?
須藤 稲は寒さにあまり強くないので、気温が低い日は水位を上げて稲を冷やさないようにします。暖かい日は逆に水位を下げてあげます。地味ですけど稲の成長に関わる大事な作業です。
―なるほど。夏も気が抜けないわけですね。お米以外にはどんな作物を育てているんですか?
須藤 出荷しているのはお米だけですが、自宅で食べるために野菜を育てています。今の時期食べているのは、なす、キュウリ、レタス、オカヒジキ、つるむらさきですかね。
―ツルムラサキですか。聞きなれない野菜ですね。
須藤 こちらではよく食べますよ。粘り気があっておいしいです。
―オクラかモロヘイヤみたいな野菜ですかね。食べてみたいです。お米も野菜も昔から育てられてきたと思うのですけど、須藤さんは農業始められてどのくらいになりますか?
須藤 40年くらいでしょうかね。若い頃には冬の間は東京の方に出稼ぎに行ってましたけど、春から秋にかけては村でずっと米農家を続けてきましたね。
―かなり若いころから農家をやって来られたのですね。
須藤 時代というのもあったと思います。我々の時代は中学校を卒業したら、長男は家業を継いで米農家をするというのが当たり前の時代でしたから。小さい時から自分も先祖代々受け継いできた土地を継いで米農家になるんだろうと思っていましたね。
―須藤さんの住む四ヶ村では、棚田の景色がきれいですけど、農作業は大変ですよね。棚田ならではの苦労を教えてください。
須藤 そうおっしゃる方が多いんですけど、作業的には特別大変だと思ったことはないんですよね。昔からずっとやってきたので。強いて言えば、草刈りですかね。年々少しずつ辛くなってきたなぁと感じます。年には勝てぬじゃないですけど。笑
―なるほど。笑 山がちな土地での草刈りは一苦労ですよね。では逆に米農家をしていて一番やりがいを感じる瞬間・米農家をやっていてよかったと思えるのはどんな時ですか?
須藤 やっぱり秋になって、新米が獲れて、それをお客さんや知り合いに送った後に電話やはがきで『須藤さんのお米美味しかったよ』と連絡をもらう時ですかね。そういう時はやっぱり米作っていてよかったなって思います。
―ご自分で食べる時より、お客さんからお礼の連絡をもらう時の方がうれしいですか?
須藤 自分で食べて今年の新米もうまいなと感じる時もうれしいですけど一番はお客さんにうまいと言ってもらえるときですね。変な話ですけど、我々は小さい頃から新米を食べなれてしまっている所があるので、一番新米のおいしさを感じてもらえるのはお客さんかもしれないですね。なのでお客さんにうまいって言ってもらえると一番やりがいを感じます。笑
―確かにそうかもしれませんね。笑 ちなみに最初に獲れた新米は決まった食べ方とかあるんですか?
須藤 特に決まった食べ方とかはないです。ただ稲刈りがひと段落したら、新米でお餅をついて神様に奉納するお祭りのような事はやります。この辺の言葉で『かっきり』と言って10月29日に行います。
―やっぱり収穫した新米は特別なものなのですね。
やっぱり農家にとっても
秋の新米は特別なもの
―それでは大蔵村棚田米生産販売組合について伺っていきたいと思います。この組合の目的についてお話いただけますか?
須藤 はい。先ほど質問いただいた農作業の苦労とはまた違うのかもしれないですけど、効率という面で、棚田で米を育てるというのは苦労があります。
中山間地域の小さな棚田で米を育てるというのは平地の広い田んぼで米を育てるのと比べて効率が圧倒的に悪いんです。一方で棚田は美味しいお米を育てるのに理想的な環境にあります。
例えば、棚田の米は綺麗な山の混じりけのない湧き水から作られます。また山がちな地形は昼と夜の寒暖差を生みだし米の甘さを高めてくれます。これは平地でつくる米には無い美味しいお米を作る中山間地域の特徴です。こうした特徴があるにもかかわらず、市場では平地で作られた米も我々のような中山間地域で作られた米も同じ価値の米として売り出されています。平地で作っている米よりいい米をつくっているのにもかかわらず同じ値段でしか評価されないのはやっぱり米農家としては少し悔しいですし、そうした市場の状況が本当においしいお米がどういうものなのか分からなくさせてしまっていると思うんですよ。
なので私たちの使命は棚田米の価値を理解してくれた消費者と絆を深めて、共に米とは何だ、日本の主食、米とはどういうものだったかを共に再認識するきっかけをつくることだと思っています。
―そうですね。思えば、私も味は二の次で何となくお米を食べていた気がします。
須藤 日本人なら毎食米を食えなんて偉そうなこと言うつもりはないですよ。パンとかラーメンとか代わりになる者はたくさんある時代ですから、毎日食べても一食くらいなのかもしれません。ただ毎日一食くらいは食べるもののわけですから、自分の食べる米というものに興味を持って、しっかり選んで食べてもらうくらいの価値はあると思います。
―確かに毎食お米を食べるとなると価格重視になるかもしれませんが、そこまで頻繁に食べる時代でもないですからね。お肉やお魚くらいお米にこだわっていい時代なのかもしれません。
須藤 昔のように、家族に食べさせていくためになるべく安いお米をという時代でもないですからね。そういう意味で今はチャンスがある時代だと思っています。お米をお肉や魚くらいこだわりを持って食べる食材にしていくことが、われわれを含めた日本全国の中山間地域の稲作を救うのに必要なことだと思います。
―なるほど。組合で作る四ヶ村の米を”食“を大切にする消費者と生産者の架け橋にしていきたいわけですね。いつ頃からブランド棚田米を販売する組合を立ち上げようと考えていましたか?
須藤 米の自由販売が認められた頃に農林水産省から紹介されてブランド米の先行事例として新潟の魚沼の方に視察に行く機会があったんです。その時、道の駅やドライブインで小袋のブランド米が売られ、買われていくのを見て、自分のやりたかった事を見つけたといいますか。これなら自慢の棚田米を自分の村の米として買ってもらえると思い、「よし、やってみるか」という感じで始めました。
―それで組合を立ち上げられたわけですね。
須藤 いえ、最初は個人で始めました。自分の田んぼで作った棚田米を同級生とか付き合いのある友人に声を掛けて、売っていましたね。評判も良く、10年ほどそうした感じで続けていたのですが、4,5年前に役場の方から、組合を作り他の米農家と一緒に新しくブランド米を立ち上げてみないかというお話をいただきまして、組合として活動を始めたのはそれからですね。
―そこからが組合のスタートというわけですね。それでは簡単に組合の活動についてお話していただけますか?
須藤 はい。まずは棚田米の生産と販売ですね。毎年2tを目安に生産しています。販売の方は直接販売しているものの他にふるさと納税の返礼品としても販売しています。その他の活動でいうと地元の中学生や棚田オーナーを招いて田植えや稲刈りを通じた農業体験活動、エコプロダクツやアンテナショップに出店し、棚田米の展示・販売なども行っています。
―生産販売だけでなく、様々なことにチャレンジできるのは組合ならではの強みですよね。
須藤 そうかもしれませんね。ただ組合員もまだ十数名で本業の農業をおろそかにするわけにはいきませんから、なかなか難しいところです。ただ四ヶ村の米の良さを分かってくれるお客さんとの絆を大切にしたいですから、こうした活動は続けていくことが大事だと思っています。「毎年四ヶ村の米がたべたい」と言ってくれるお客さんが増えてくれるとうれしいですね。
美味しいお米を作るだけでなく美しい景色も見せてくれる棚田。食べる人もこうした景色がうかんでくれればと願う須藤さん
―それはうれしいですね。そうしたチャレンジが実を結ぶといいですね。
須藤 そうそうチャレンジといえば、ブランド米の品種改良に取り組んでいますよ。
―品種改良ですか!かなり大掛かりなチャレンジですね。因みに村では今どんな米の品種を育てているんですか?
須藤 四ヶ村では はえぬきやあきたこまちがメインですね。他にも2,3種類ほどあります。
―山形県というとつや姫とか有名ですよね。
須藤 そうですね。でもそうした米は平地で作られることを想定した品種なので、春が遅くて秋が短い中山間地域の気候には適さず、四ヶ村では作れなかったんです。なので10年以上前から山形県の役所と協力して中山間地域の気候に適した新しい米の品種を作ろうと研究しているのです。
―かなり昔から構想があったんですね。
須藤 昔から私の田んぼや四ヶ村の他の地区の田んぼを使って、試験的に栽培しています。山形〇〇号とか聞いたことないですか?研究段階なので正式に名称はないですが、そろそろ商品化できるような品種ができるんじゃないかと信じています。
―なるほど。中山間地域に最適な品種ができれば、さらにおいしいブランド米が食べられるわけですね。待ち遠しいですね。
新しいことを始めても根っこにあるのは
この村の農業を守りたいという思い。
熱いメッセージありがとうございました。
―それでは最後の質問になります。今回のインタビューでも節々に須藤さんの地元愛が表れていましたが、組合の活動を通じて四ヶ村にどんな変化が表れてほしいとおもっていますか?
須藤 やっぱり我々の活動の根底にあるのは、先祖代々継いできた土地をこれからも下の世代に繋いでいきたいという思いだと思います。私達の地区は800年くらい昔からずっと農業で土地をつないできた歴史ある場所ですから、私達の代で終わらせるわけにはいかないという気持ちは強いです。
ただもう長男が家・土地を継いで農業をやるという時代でもないですよね。後継者の問題というのは村でも大きな課題になっています。
ですが、我々組合が作ったブランド米が、村の代表になるような米、作っていることが自慢に思えるような米になれば、四ヶ村の外から「四ヶ村で米を作ってみたい」という若い人たちや退職した人が来ていずれは土地を継いでくれる人も出てきてくれるんじゃないかと思っています。加えて我々組合を含めた地元の農家とこれから村に新しく来てくれる人、行政のサポート、それから支えてくれるお客さんと力を合わせて村全体の農業を守っていく仕組みを創っていければそれが一番かなと思っています。
―なるほど。ただお米を作って売るのではなくて、村のシンボル的存在になり外部から新しい人を呼び込むことができれば、村を救う新しい農業の形も見えてくるかもしれませんね。
須藤 そうなっていけるようにこれからも頑張っていきます。
―本日はお話ありがとうございました。
須藤 はい。お疲れ様でした。